[ 何も起きないただの小話 ]






時刻はそろそろ夜も更けようとしている午後11時半過ぎ、
場所は某高層マンションの一室、
日付は週末で明日は学校も休みというこの上なく自由で気楽なそんなタイミングにも関わらず、




がしがしと頭をかきむしる高校生が、ここに一人。




「あーーーーもーーーー!! もうやってらんねーってこんなん!!!!」




半ば癇癪にも似た自棄を起こしつつ喚きつつ、
机上にはぶ厚いテキストが一冊、中身は無論まだまだ空白のページが多々、それに白旗を掲げて、
はじめは手にしていたシャープペンをそれまで向かい合っていたシステムデスクの上、放り投げた。
「やってもやっても先が見えねえ・・・・ギブ! もうギブギブ!!」
抱え込んだ頭からプスプスと煙でも出しそうな勢いで音をあげ、
もうムリ、解けねー問題しか残ってねーし、とぼやきながらそれとなく、それとなーく、そろりと後方を振り返ってみるはじめの視線の先にはイヤミ、  ・・・・じゃなかった、明智の姿。




「ギブアップするのは君の勝手ですが、提出しなければ単位が危ないと言っていたのでは?」




何やら分厚い本(※遠目に見るには何かの原書らしい : そしてはじめにはそれが英語なのかフランス語なのかイタリア語なのかも判別不明である) を 手に、彼はしれっと痛いところを突いてくる。
「うッ・・・・」
途端に詰まるはじめを尻目に、明智は明智でふう、と半ば(今更?) 呆れかえったかのよう、軽く溜め息をついた。
「まったく・・・・。 普通に登校して、普通に授業を受けて、普通にテストに臨めば普通は赤点とは無縁だと思うのですがね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・普通フツウって。 明智さんの普通とオレのフツーは違うんだよ」
嫌味混じりの台詞に嫌味で返したはじめの呟きは、
「それはせめて 【普通】 の成績を取ってから口にできる台詞です。 あしからず」
更なる嫌味をもって見事に討ち返されてしまい、
「うう」
はじめは撃沈されざるを得ない。
あーやっぱこんなとこ来るんじゃなかった、大人しく自分の部屋でやってりゃ良かった、と今になって後悔したって、すでに遅すぎることは重々承知のうえなのだが。
今回はまた、普段とパターンが少々違っていたのが運の尽きだったのだ。
いつもなんやかや言いつつも手伝ってくれる美雪は週の半ばから風邪をひいて寝込んでしまっているし、巻き込もうと思った草太は親戚の法事で昨日から忌引で欠席。
よっしゃそれなら今回くらいは自分の力でやり遂げてみせる! と息巻いてみたはいいものの、
丸々一冊出された物理の問題集の1ページ目を終わらせてみたところで 「ム・・・・ムリだ・・・・」 と瞬時に悟った(・・・・) はじめが最終的に行き着いた先がココだった。
なかなか短らぬ付き合いとそこそこ浅からぬ間柄(・・・・) にいつからかなってしまっていたがゆえ、
そして偶然にも現時点で明智が事件を抱えておらず、どちらかといえば手隙の状態で定時通りに帰宅できていた幸運も手伝って、夕方から彼の部屋に転がり込んで月曜の朝イチで提出しなければならない問題集と格闘、そして今に至る。
「・・・・もういい・・・・。 オレ、大学とか行かねーし・・・・」
ぐったり、ぐんにゃり、やる気を完全になくしたはじめが机に沈み込んで力なくそう漏らすと、
まったく仕方がないですね、との明智の声が背中に当たった。
「わからない箇所があったら聞きなさい、と言ったでしょう」
パタン、と本を閉じる音もする。 が、もはや振り向く気力さえ無い。
「もー、わからねートコロがわからねー」
あんまりにもわからなさすぎて、ドコから手をつければいいんだかもわかんねーし、と正直に口にしてみる。 と。
「金田一君」
いつの間にすぐ横に来ていたのか、白いページだらけで空白だらけの問題集をひょいっと明智が取り上げた。 そしてパラパラと軽く目を通したあと、




「・・・・・・君がここまで出来ない子、だったとは」




たった一言。
何を言うかと思えば、まさに実も蓋もない。
しかもいつものよう、それがバカにするような響きであるならばともかく、むしろ同情のような、いや、憐憫のような、カワイソウな子に対する哀れみのような、そんな感じのそんな声、だったから。
「あ゛ーーーーーー!!!! どーせオレは出来ませんよ!! どっかの誰かと違って!!」
ついに爆発したはじめだったのだが、
「静かにしてください。 開き直ったところで問題が解けるようになる訳でもない」
ごくごく冷静、ごくごく真っ当に注意され諭され、
「ぐ・・・・」
「提出しない限り、限りなく留年に近付いてしまうと言っていたのは当の君でしょう」
「・・・・・・・・・・・・」
「とりあえずは頭を冷やしなさい。 次は私が見てあげますから」
「・・・・・・・・・・・・ん」
事実を持ってのオトナの対処法を用いられた結果、ぐうの音も出なくなってしまうとはこういうことだ。
しかし頭を冷やしたところで解けなかったものが突然解けるようになるのかと言えば、そうカンタンなものではないことくらい、はじめだってわかっている。
「もうイイ・・・・。 提出して、んでもって解答欄が埋まってりゃイイってことで、テキトーに埋めるから」
それっぽい答えとか数字を書いときゃなんとかなんだろ、
「オレ、頭よくねーし」
と本格的に放り投げの様相をはじめが見せると、突然。
「それは聞き捨てならないですね」
「いてッ」
後ろ髪、結んだ先のしっぽをグイ、と引っ張られた。
なにすんだよ、と見上げた先には色素の薄い、眼鏡越しの明智のカオ。
「言い換えるべきです。 単に君は 【勉強が出来ない】 と」
「〜〜〜〜〜〜おんなじだっての!」
何を言ってくるかと思えば、真顔でそんな。
なのに反駁したはじめに対し、
「違います。 私は 【馬鹿】 が 【馬鹿ではない】 フリをするのは許せます。 ですが 【馬鹿ではない】 人間が 【馬鹿のフリ】 をしているのは許せない」
ああ、【馬鹿】 を 【愚か者】 に変えても良いですね。 むしろ変えたほうがしっくりくるな、などと滔々と彼は持論を展開。
それについついはじめは乗せられてしまい、
「へ? なんで?」
ついつい訊ねると。
「前者には見栄なり虚勢なり、自分を鼓舞するためのなんらかの意味はあるのでしょうが、後者には他人を欺こうとする悪意以外の何の意味も見受けられないからです」
そうさらりときっぱり言い切る明智には何の迷いもなく、
「あー・・・・。 まあ。 そう言われりゃそうかも」
アンタにそう言われると、なんかそんなような気もしちまうよなー、と思わずはじめも納得。 すると彼はコホンと軽くわざとらしく咳払いをひとつして、
「それでは金田一君、それを踏まえて聞きなさい」
「?」
「いいですか、テストは頭がいい人間なら点を取れるという訳ではありません。 思考回路はどうあれ、問題を解けた人間が点を取るんです」
「・・・・・・・・」
「そして大学にしろ高校にしろ、入試は頭がいい人間が合格するんじゃありません。 点数が高かった人間が合格するんです」
それが事実で現実で現状です、とまたもきっぱり告げられて、
またしてもはじめは納得せざるをえない。 けれど、先程からずっと言い包められてばかりなのが悔しくて、
まるでガキみたいだよなオレ、とわかっていながらもやっぱりちょっとは反抗したくて反論したくて、
「点だけ取ってりゃイイってなら、突き詰めりゃ学校なんていらねーじゃん。 学校行かねーで、塾とか家庭教師で済んじまうんじゃねーの?」
あえて極論、まですっ飛んでやったら。
「まあ正直、国語も数学も日本史も世界史も英語もみんなどうだっていいです。 そんなものは学ぶ気ならいつでもどこでも学べます。 それなら学校で、限られた年月で何を学ぶのか。 決まっています。 学校では、否応なしに繰り返される集団行動の中、忍耐力を学ぶんです」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「他に何か聞きたいことは?」
「聞きたいことはねーけど、明智さんに言いたいコトなら一つある」
「何ですか」
「・・・・・・・・。 なんかスゲー正攻法で突破された気がする。 スゲー悔しいから、オレ、浮気してやる」
「は?」
「言わなかったけど、来週、草太と映画行く約束してるし」
「ほほう。 つまりそれは私が剣持警部と現場に急行するのと同様程度なわけですが。 それを君は浮気と捕らえるという訳ですか」
「ゲッ」
「どうせ言うなら、高遠の名前くらい出したらどうです。 そうすれば私の顔色も変わったかもしれないのに」
「いや・・・・。 そりゃいくらなんでもさあ・・・・」
「おや。 それくらいの分別はあったんですね」
「あるに決まってんだろ!!」
「それは良い子だ」
撫で撫で、と頭をなでられたついで、「夜はまだ長いんですよ?」 と意味深に目を細められ、
「つったって、一回寝ちまったらすーぐ朝が来るじゃん」
苦し紛れに返してみるも、
「来ませんよ。 君はまだ時間の上手な使い方と過ごし方とを知らない」
頭にあった手が、気がつけば頬に添えられ、なんだかそんな雰囲気になりかけて、
はじめとしてはそれも別にイヤだというわけではなかったし、
どうせ予定調和に組み込まれてんだろうな、と考えながらも、素直に思ったことを言ってみる。
「いつも思うんだけどさ、毎回毎回アンタとこんなコトしてたら、いつかじっちゃんが化けて出て来ちまうよーな気がする」
すると明智は小さく笑って、
「そうですか、もしそうなったら丁重にご挨拶をしなければいけないですね」
「わりと歓待されるかもな、じっちゃんも相当変わりモノだったから」
「その時が楽しみです」
・・・・・・なんだ、こんな馬鹿げたハナシにも乗ってくれんじゃん。 つーかじっちゃん、マジでオレに熨斗つけて明智サンにぶん投げて行きそうだよなあ、
などと言い出した孫自ら、そんなふうな結論に行き着いたところで。




「まあそれは置いておいて、今は問題集のページを進めるのが先ですね」




明智のそんな一言で、現実に引き戻される。


「んじゃ、最初から手伝ってくれよ、明智さんなら15分で終わるだろー?」


「ええまあ」


「それなら、頼・・・・・」


「却下。 私は見てあげよう、とは言いましたが手伝う、とは一言も言っていないので」


「オニ! 悪魔!! イヤミ眼鏡!!!!」


「なんとでも。 もう一度真剣に取り組んで、それで分からなくなったら聞いて下さい。 きちんと教えますから」


「く・・・・くっそ・・・・!   !! そーだ!!」


「?」


「もう、手っ取り早く勉強の仕方を教えてくれよ。 そしたらこれから先も自分で出来んじゃん?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり 【馬鹿】 なんですかね、君は」


「なんでそういう結論になるんだっつの!!」




明智の溜め息の理由がわからないはじめに、
明智が最終的に頭を抱えたくなった意味もはじめはわからない。
でもまあ、そういうところがまだまだ子供で見ていて面白いところなんですが、と当人には聞こえないよう、口の中だけで彼は呟いたあと。








「勉強の方法を私に聞いてもムダです。 私はやらなくても出来ましたから」








紛れもない事実、そして真実をもって返答とした。








やっぱヤな奴だ、とはじめは思った。










突然書きたくなって書いてみたふたり。
窓の外を恐竜が歩いていた頃(・・・・)、わたしが高校生の頃から大ッ好きでしたこの二人。
明金はいつでも帰れる約束の場所(笑)なのだ。