テイク





グゥ、と腹が鳴った。
それから立て続けに二回、三回。




ケテルブルクホテルの一室である。




「腹、減ったぁ・・・・」
思わずルークが呻くと、それまでこちらに背を向け、文机にて書き物をしていたジェイドが呆れ顔で振り向いた。




「なんです、その気と間の抜けた声と顔とは」




そんなジェイドに答えるかの如く、またグウウウ、と口より早く腹から響く音。
だから駄目元で言ってみる。
「ジェイド、なんか食べるもの作ってくれよ」
「丁重にお断りします。 ご自分でどうぞ」
最初から駄目元だったとはいえ、やはり間髪入れずに拒否された。
しかしめげないルークはまたまた駄目駄目元で。
「そんなこと言わずに、何でもいいから作ってくれよ〜〜〜」
「お断わりします。 面倒です。 億劫です。 手間です。 私はどこかの誰かと違ってそれほど暇というわけではないので」
駄目駄目元、だからか今度は微妙な嫌味混じりで再び拒否。
「どこかの誰か、って俺しかいねーじゃん・・・・」
思わずルークがそうぼやくと、ジェイドは小さく口許を上げてみせた。
「おや、そう聞こえましたか? 私はカジノだのスパだのに連なって出払っているガイやアニスたち、つまり此処にいない他の連中を指したつもりなのですが」
違う。 絶対、絶対違う。 絶対そうじゃない。 そう言いたくて喉のそこまで出掛かっている言葉を抑えて、
「・・・・ホントか、それ」
じいっとルークがわざとらしく見据えてやれば、
「イヤですねえ、疑い深い子は」
これまたそれ以上にわざとらしいタメイキと仕種と表情で肩をすくめられ、
「そんなに空腹ならホテル内のレストランにでも行ったらどうです」 と促されたのだが。
「ダメ。 もう俺、腹減りすぎて何にも力が出ねえ・・・・」
三人掛けのラブソファーにくったり伏せったまま、もう歩いてそこまで行く気力も無い。 そう言うと、眼鏡の軍人はあからさまに嘆息したようだった。
「まったく、仕方のない・・・・」
「やった♪」
ごね得、要求が通って目を輝かせるルークに、「出来合いのものしか出せませんよ」 と釘を刺しつつジェイドは文机から離れ、
道具内の食材を用い、別のテーブル上にて手早く何やら調理を始め出す。








繰り返し、ケテルブルクホテルの一室である。
実を言うとつい先程、腹が鳴るまでルークは熟睡していた。
空腹が原因で目を覚まし、寝惚けた頭で周囲を見回してみれば、男性陣の取った部屋内にガイの姿は見えず、ただジェイドの背中が見えるだけで。
怪訝に思い、
「あれ? ガイは?」
途中、調理中のジェイドに聞いてみたところ、
ここに着いた直後、荷物を下ろした途端に気が抜けたルークがソファーにてすぴーすぴー眠りこけてしまうと、元気な女性陣は休む間もなくスパ・カジノへ直行。
それに護衛兼荷物持ち(どう考えても後者の意味合いの方が高い) でガイが半ば無理矢理連れ出され、
残ったのは寝こけ続けるルークと、細々とした書き物仕事を終えたいがためのジェイドの二人というわけで。
ジェイドの滔々的確、且つ簡便な説明の最後、
「貴方が目を覚まさなければ、あと15分程度で終わりそうだったのですが」
これまた微妙な嫌味混じりの一言で締めくくられながらもルークの眼前にトン、と置かれた白い丸皿。
皿の上にはいくつかサンドイッチが乗っている。
「うわ・・・・」
それを見て、自分で頼んでおきながらルークは目を丸くした。
「何です、そんな顔をして」
折角の厚意を、驚き且つ意外にも程があると言わんばかりの表情で受け止められたジェイドに訝しげに問われ、
慌ててルークはぺこり頭を下げ 「あ、ありがとな」 きちんと先に礼を言う。
それからそそくさとサンドイッチに手を伸ばし、つまんでパクつきながら。
「いや・・・ジェイドがこんな優しいなんてどうしたんだろうと思ってさ。 雪じゃなく今夜はヤリが降ってくるんじゃねーの」
もしくはブウサギ。 雪ときどきブウサギとか。
などと子供じみた(実際、コドモなのだけれど) 軽口を叩くと、眼鏡の奥の紅い眼が一瞬笑って、あからさまに面白そうな顔で、
「失礼ですねえ。 私は子供にはいつでも限りなく優しいんですよ?」
いけしゃあしゃあ。 
端から見る分にはどこまでも穏やかに湛えられる笑みなのだが、相応にジェイドを知ってしまった今となっては余計胡散臭さを醸し出していて、
「ウソつけ・・・・」
思わずぼやいてしまう。
加えて 「俺にはちっとも優しくなかったくせに」 と続けようとしたのだけれど、そんなことをしたらそれこそ言質プラス揚げ足まで取られそうだったから、止めた。
なのにルークのその程度の浅慮など、大人はとっくにお見通しらしい。
「ん? 『俺にはちっともそうじゃなかった』 というような顔をしてますね、ルーク」
「な、なんで分かるんだよ、」
アッシュとだってそこまで通じないのに、と驚くとその理由は教えてくれず、代わりにジェイドはあからさま面白半分宥め半分で。
「貴方には充分、十分優しくしていた ――――― そして今でも優しくしているつもりなんですがねえ」
イ マ デ モ ヤ サ シ ク シ テ イ ル 、 にわざとらしいアクセント。
「う・・」
確かに今回、今はちょっと例を見ないほど優しかった。 しかし素直に頷けないのは何故だろう。
「・・・・・・・・今はともかく、前っつーか、普段はなんか・・・」
ちっとも優しくないだろ、むしろ意地悪じゃん。
と危うくまたポロッと零しそうになったルークに対し、これまた35歳は大袈裟なほどわざとらしく。
「そんなことないですよ、あるわけがない」
「え〜〜〜〜・・・・?」
思いっきり疑わしさを隠さず、尻上がりの疑問系で逆にルークが訊ね返せば、
今度は彼は自然な動作で、小さく息をついた。
「ふむ。 まあ貴方はこれまで他人に優しくされた経験があまり無かったので、わからないのでしょうね」
「、」
意表を突かれた。
「・・・そんなこと、」
無いだろ、と否定したかった。
ガイは昔からずっと優しかったし、今はティアを始めとしてみんなだってそうだし、そんなこと無いはずだって、と正面から違うと否定出来れば良かったのだが、
そうすることが何故か出来なくて、思わず口籠もってしまうと。
「甘やかされるのと、大切にされるのと、優しくされるのとはそれぞれ少しずつ違いますから」
「・・・・・・・・う」
痛い訳じゃない。 現実を諭されて殊更胸が痛い訳ではなく、表立って直接辛い訳でもないけれど、どうしても次の言葉が出てこない。 
するとジェイドは自分の科白でルークを追い込んだにも関わらず、
「まあ、私はその全てを持って可愛いルークに接していますよ?」
柔らかく笑って即、掬う。
「・・・・そうかな」
「そうです」
掬われた形のルークとしたら、彼がそう断言するのだから頷いておくしかなく。
でもやっぱジェイドって意地悪だよなと心の中で再確認し、残り少なくなった皿の上のサンドイッチに齧り付いたと一緒、
ふいにすっと横からタンブラーグラスが差し出された。
「林檎ジュースです。 パンばかりでは喉が乾くと思ったので」
「ん、サンキュ、」
受け取って一口飲んでみれば甘すぎず酸っぱすぎず丁度良い。 美味しい。
喜んでごくごく一気に半分ほど飲んだところで、先程と同じく今度は横から手が伸ばされ、
「ほら、口許と頬にはみ出たケッパーソースが付いている。 相変わらず食事の仕方が下手ですねえ。 良い育ちをしているはずなのに」
口の端と頬とを指の先で拭われて。
「貴方のそれは素ですか? それとも甘えモードに突入しているわけですか?」
「なんだよその 『甘えモード』 って」
ジェイドって時々ヘンなコト言い出すよな、と思いつつもむぐむぐ食べ続け、最後の一口を飲み込んだルークを当の彼はふっと柔らかく一瞥、
「ま、私としては素でも計算でもどちらでも構いませんが」
穏やかな眼、そしてやたら楽しそうな口調でそう言いながらソファー、隣に腰掛けてくる。
その横顔を(身長差で) 僅か下から眺めやりながらルークは残りのジュースも最後まで飲み干し、
そして今更ながら素直になってみる。 
「でも俺、優しくされるのも甘やかされるのもどっちも好きかも」
「?」
「ジェイドにさ、ほんっと珍しいけどこうやって甘やかされるの、すげー好きかも」
ルークとしてみれば、普通に素直に嬉しかったから、というか思ったことをただそのまま伝えただけなのだが、
「それなら、これからもっと良い子になればもっともっと甘やかして差し上げますよ」
そんな返答と共に、(身長差で) 15センチ上から、いくら隣に座っているとしてもかなりの至近距離で顔を覗き込まれ、
「え、」
不覚にも一瞬ぽけっと呆けてしまったあと、慌ててふいっと視線を逸らした。 そして心持ち身体を横にずらす。 だって近過ぎる。 
いくら随分前にベッドの上にて 「御馳走様でした美味しかったですよルーク」 的セリフを聞かされ済み奪われ済み(・・・・) であるような間柄とはいえ、
今はまだ昼間だし。 夜にはみんな戻ってくるし。 それに別にそういう意味で言ったわけでもないし。
「そ、そう言えばさ、前もみんな言ってたけど、ジェイドっていい匂いがするよなあ」
だから、あえて話題変更。
「何ですか、また唐突に」
とってつけたような話の逸脱っぷりはやはり多少なりとも不自然だったらしい。 それでも、出来るだけそのことに気付かないフリをして。
「べ、別に。 ただ、今さっき何かふわって匂いがしたからさ。 香水なのはわかってるけど、ジェイドに限って加齢臭をそれで消してるってワケじゃなさそうだし、つーか香水の匂いじゃなくても何か香るような気もするし」
「加齢臭・・・・」
ぼそっとジェイドが呟いた。
どうやら慌てた挙げ句フォローに走った言葉の中、それってばもしかして危険区域に属する単語だったか。
気付いてルークはますます慌てる。 ますます焦る。
「ち・・・・違うって! そういうカンジとかジェイドからは全然しないし! だから!」
「・・・・はいはい、一応そういうことにしておきましょうか」
懸命に訂正したのに、溜め息を吐いて軽く流されてしまう。
「一応じゃなくてホントにそうなんだって!」
だから今度は懸命どころか半ば必死になって反駁すると、
「わかってますよ。 そう焦らずとも」
苦笑を隠さないジェイドに、撫で撫で。 頭を撫でられた。 思いきりの子供扱いだ。
「・・・・・・・・・・・・」
もしかしてからかわれたのかな俺、とうっすらルークが気付き始めたところで、
撫でてくる手と、普段より三割増し優しい(ような気がする) 紅い眼と自分を見てくる表情に、やはり思う。 改めて思う。
「・・・・・・なんでそんな、若いんだ?」
「はい???」
「絶対年齢詐称してるだろ」
絶対信じられない。 その顔で三十五だなんて。 自分の倍以上の歳だなんて。
なのに当人はケロリと。
「してませんよ」
詐称、よりによってわざわざ実年齢より高く公言する意味もメリットも有りませんし。 とあっさり否定。
それでも腑に落ちないルークに対し、
「そうですねえ、」
彼は少しだけ考える素振りを見せて。
そんなところも今日のジェイドは優しいような気がする。 普段なら先刻の 「してませんよ」 の一言できっぱり終わるはずだ。
「もし如いて挙げるならば、気の持ちようですかね。 ま、人それぞれ少しは天性のものもあるのかもしれませんが」
「気の持ちようだけで、そんな若作りでいられるのか?」
「ルーク。 若作りとは何です若作りとは」
あ゛。
誉め言葉のつもりだったのだが。
もしかしてこれこそ危険領域真っ只中の単語だったのかも、と固まってしまったのだが、ジェイドはそれ以上は然程気にした様子もなく、先を続けた。
「あとは経験の積み重ねにもよりますか・・・・。 人は経験を積みながら、時々手痛い目を見たりして大人になっていくんですよ。 その途中、時々は諦めることを知ったりしてね」
「、」
ほら、また。
何気ない最後のフレーズに、わけもわからず息が詰まった。
痛い訳じゃない。 辛い訳でもない。
なのに何故だろう、喩えるなら透明で柔らかい、深い深い棘のようなもの。
いつからか刺さって抜けないのではなく、たぶんずっと前から。
だからルークはどこまでも素直に正直に。
「じゃあ、ジェイドはまだ何にも諦めたりしてないんだな」
「ルーク?」
「・・・・あ、ごめん、何でもない」
何が言いたかったのか、後から自分でもよくわからなくなった。
「何でもない、何言ってんだろ、俺」
だからぶんぶんとあえて明るく首を横に振ってみせる。
その間ジェイドは静かにルークを見つめていて、
・・・・もしかしたら彼には自分でもわからないそれを読み取られていたのかもしれないけれど。
しかし続いての科白は何ら関係のない、他愛無いもので。
「貴方だって、髪を切ったら前にも増してより一層幼くなったじゃないですか」
「んー、切って随分経つけど、未だに襟足がスースーするのにあんまり慣れなくってさ・・・・。 軽くなったのはいいんだけど」
「いえいえよくお似合いです。 その、『ひよん』 とした襟足の外ハネも可愛いですよ」
「そ、そうかな」
面と向かって言われ、少し照れくさい。
照れ隠しにほとんど無意識で、その襟足を自ら手でわしゃわしゃ触っていると、更に。
「それに、短くなったおかげで首筋までとても見やすくなって一石二鳥です」
「え゛、」
さらりとそんなことをしかも真顔で言われ、一瞬かあっとなりかけた。 ・・・・が、堪える。
「私のような年寄りには勿体ないほどの眼福ですからね、とてもありがたい」
「べ・・・別に、そういう意味で短くしたワケじゃねーし、それに跳ねちまうのはクセっ毛で仕方なくて・・・・!」
堪える。
「ははは、それくらい承知の上ですよ当然。 ところでルーク、」
「な・・・・何か・・・・?」
堪え、 ・・・・ようとして、
今になって気付いた。 気付いてしまった。 間違いなくさっき身体をずらしたはずなのに、気付けばいつの間にかまた距離がなくなっていた。
いや、むしろ先ほどより余程距離は縮まっていて、はたりと見上げたすぐ上には自分と違って余裕綽々のカオ。
「・・・・!」
「ん? どうかしましたか?」
思わず息を飲んでしまったルークとは対照の極致、笑って顔を覗き込んでくるジェイドの顔には有り余る余裕。




ヤバい。




なんだかわからないけれど、
どこにどんな根拠があるのかさえよくわからないのだけれど、
間違いなくルークの中での本能が、何某かの危険を察知している。 いや、察知というより警告か。
「っ・・・・」
なのにどうすることも出来ないのは、最初から完璧に貫禄負けしてしまっているからで、
「ルーク」
「わッ!!?」
だから長い髪が揺れ、直後ふいに頬に手が触れてきた途端、慌てふためいた拍子に思いきりバランスを崩し、
ものの見事にソファーから転げ落ちてしまった。
「てて・・・・」
大した落ち方をした訳ではなかったし、そもそも高級ホテルの高級ルーム、絨毯も相応に厚いためほとんど衝撃はなく痛くはなかったのだが、いくらなんでも少々カッコ悪い。
挙げ句、
「おやおや、大丈夫ですか?」
呆れ半分、失笑半分の声が上から降ってきて、
「う・・・・」
自分でも些か情けなくなってしまったのだが。
次にジェイドが発した科白に、そんなものすっ飛んだ。
「ところで先程の続きですが、ルーク、今のところ身体に何か変化はありませんか? 例えば少しだるいとか、熱いとか」
「へ?」
「もしくは妙に疼き出しているとか、ゾクゾクするとか」
「え、 ・・・・ッ!」
「そろそろ、効き始めても良い頃合なのですが」
「な・・・・っ・・・!!!?」
一気にふっ飛んだ。
何かって何だ。 そろそろ効き始めても、って何がだ。 そして何より、その挙げた症例の表現は一体どういうことだ。
「それとももう少し時間がかかるのでしょうかね、だとすれば少しばかり調合を間違えたようです」
「ま・・・まさか・・・・」
ここまでくれば、どれだけ疎いルークにだってわかる。 判らざるを得ない。
ついさっき感じたイヤな予感はこれだったのかと痛切に今頃感じてもとうの昔に遅い。
でもだけど信じたくなくて、あわあわとジェイドを見る。
「まままま、まさかさっきのサンドイッチに、なんかヘンなもん、入れ、た、とか・・・・?」
違う、と言ってほしい。
冗談ですよと答えてほしい。
なのになのになのに。
「イヤですねえ、サンドイッチになど入れるはずがないでしょう」
「な、なんだ、それなら・・・」
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、




「媚薬を入れたのはサンドイッチではなくて、ジュースの方です」




「〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」




言葉が出ない。
やっぱりやっぱり妙な優しさには裏があった。 ありまくった。
思いきり逃げ出したくて、これから自分の身に起こるであろう状態と状況とを(最早どうしたって無理なのだが) 回避したくて絨毯の上、ずずずと後ずさる。
なのに上から伸びてきた腕に即座に捕まえられ絡め取られ、
あっという間に再びソファーの上に乗せられて引き戻されてしまい、
ななななんでいきなりこんな展開に、とか、
どどどどうして急に突然こんな目に、とか、
ちょちょちょちょっと待った、ちょっと待った・・・・!! とか考える間もなく制止する暇もなく、
「ん・・・・っ・・・!」
耳元に口付けられて。
思わず首を竦めたルークに対し、




「きちんと優しくしてあげますから」




一体どこまで信用していいのかさっぱりわからない科白を告げる、この上なく愉しそうなカーティス大佐三十五歳。




「というわけで、クスリがきちんと効き始めたら、始めましょうか」




「ま、マジ、で・・・・・・!!?」















ルーク、絶体絶命である。
















【→ 『& テイク』 に続きますごめんなさい】