付和随行











―――――――― 彼は、どちらかというと温めで柔らかな湯を好む。










「時々、ふと我に返ったりもするけどな」




高い天井。
反響する互いの声。
立ち昇る湯煙。
豪奢と言うには少しばかり優美すぎて、
だがしかし質素と言いきるわけにはとてもとても行かない程度に優麗で同時に華奢さも併せ持った浴室、湯殿。
そろそろ日付も変わるかという遅い時刻である。
自分たちの他にあと十人が一斉に入ったとしても未だ充分に余裕がありそうなほど広い湯船に胸の途中まで浸かりながら、
「はい?」
ジェイドはすぐ自分の真向かいにて、同じように湯に浸りながら、唐突に言葉を発したピオニーを見た。
当然のことだが場所が場所であるがゆえ、眼鏡は無い。
彼の裸眼の紅い目を受け、この国の皇帝陛下は何故だか溜め息混じり、先を続けた。
「なんで俺は、こんな時間にこうやってお前と向かい合って全裸で風呂に入ってんだ? ・・・・ってな」
「裸なのは当然でしょう。 入浴の際、普通衣類は脱ぎますから」
あっさり答えたジェイドに向け、彼は今度はいささか亡羊めいた口調で。
「・・・・論点はそこじゃない。 どうしてお前と、と言ってる」
今更にも程がある事柄提起。
普段は陽性も陽性、大抵何事にも動じずからから笑って明朗快活を地で行く性格のくせ、
時折こうやって屈折じみた部分を覗かせる一面も持っていることを、とうの昔からジェイドは知っていた。
無論、その場合の対処法も当然にして心得ていて、
だからさらりと。
「その質問に端的にお答えするなら、貴方が先刻たっぷりと撒き散らし吐き出し溢れさせた体液と、貴方の身体の中の私の体液とを洗い流してさっぱり清潔に身体を保つため、ということになりますが」
「、」
「そして更に補足を加えれば、少し前までは一人で立って歩くことも覚束ず、お一人で入浴していただくには少々不安もありましたので私もご一緒したのですが、それが何か」
反論の間も与えず、矢継ぎ早にどこまでも隙のない正論、正攻法。
言い終え一旦言葉を切り、
「陛下?」
視線で窺ってみると、
「・・・・・・・・いや、もういい・・・・・・・・」
なんだか拗ねたような、一方で諦めたような脱力したかのような気力の無さでゆっくり首を横に振られ、
その拍子にほんの僅かだが湯面が揺らぎ、小さな波が立った。




その湯船の波が治まるまでの、ほんの少しの無言の間。




「仰りたいことは、よくわかりますよ」
先にだんまりを破ったのは珍しくもジェイドだ。 普段こういう場合、先に沈黙に耐えられなくなるのは大抵大概ピオニーの方なのだけれど。
「・・・・・・・・・・嘘つけ」
ぼそっと返ってくる容赦のない返事。
だが聞こえないフリをして、聞かなかったフリをしてそのまま流す。
そうして、
「陛下、」
もう一度話しかけようとするとピオニーはふいっと目線だけをずらし、ジェイドと目を合わせるのを心持ち、避けた。




「・・・・・・・・・・・・」




こんなとき、
こんな態度を取るとき、
こんな仕種を見せるとき、
まず間違いなく彼は大なり小なり拗ねている。
そして多分その理由もしくは原因となった相手は自分ではなく(もし自分だったなら、とっくに当たられている)、
差し詰め大臣共もしくは家老、それとも侍従共か諸々そのあたり、おそらく内容としては十中八九、いい加減早く相応の相手を見つけて選んで結婚しろだのの説教から始まり、
最後はご大層にも世継ぎ問題にまで及んだのだろうと推察、
そしてその推察は余程のことがない限り、ほぼ十割の確率で的を得まくり、で―――――。




行き当たった結論に、彼には気付かれないよう内心で溜め息にも似た心情を湧き上がらせつつも、
またもや正攻法でジェイドが煙に巻こうとしたその時、今度先に沈黙を打破したのはピオニーだった。
「もう、36なんだよなあ俺」
ただ抑揚のないイントネーション。
「意外ですね、てっきり 『まだ36だ』 と仰ると思っていましたが」
少しだけ驚いた。
ジェイドの正直な感想に、表向きだけピオニーは苦笑する。
「俺だってまだまだ 『まだ』 って言いたいが、やっぱり 『もう』 だろ」
「そうですか? 実年齢はともかく見た目はお若いですよ。 贔屓の引き倒しの見立てで申し訳ないですが、下腹も引き締まっていますし、顔も思いきり青年顔ですし。 普通に20代で充分に通ります」
「けどお前に言われてもなあ」
「まったく、信用がないですねえ・・・・」
一言のもと、それはただの馴れ合いだろうと評されてしまえばそれまでなのだが。
「若作り過ぎて妖怪じゃねーかってウワサが立ってるお前に言われると、逆にやたら胡散臭く感じるぞ」
どうやらそれとは違ったらしい。
しかし結局フォローには物足りなかったようで、
「私が妖怪なら、陛下も似たようなものでしょうに」
サンダル履き(しかもそれがこの上なく似合ってしまう)、
加えて髪飾りまで付けた国王なんて滅多に居ませんよとこれまたフォローなのか別のものなのかよく判らないフォローを入れてみても、
「そうだといいんだがな」
「・・・・・・・・・・・・」




困る。
珍しくジェイドは困ってみる。
彼の我儘を聞くことには慣れているが、こんなふうに静かにごねられるのは少し苦手だ。




「ジェイド」
短く呼ばれた。
「はい」
対応に、応対に返事に返答に更に困るような科白を零されたら些か厄介だ、と頭の片隅で考える自分を消し去りたくなりながら、
しかし表情には出さず口調にも出さず、
本来ならば一番見せなくても良いはずの唯一の存在であるはずの相手に向けたポーカーフェイス。
全くもってこの上なく非生産的で、あまりに無意味で無意義な。
「何でしょうか」
訊ねた途端、ピオニーはおもむろに湯船からざばっと立ち上がり、




「・・・・・・・・。 ずっと湯に浸かってて少しのぼせた。 先に上がってるからお前はゆっくりしてろ」




「陛下」
合わせて自分も立とうとしたのだけれど。
「あーーーー、いい。 ついて来なくていい。 平気だ。 当たり前だが服も自分で着られるし、後は寝床に倒れ込むだけだからな」
先程とは逆に彼曰くの正論、正攻法。
「大丈夫ですか?」
「もう慣れた」
よくよく考えると問題がないでもない(・・・・・) 内容の返事をあっさり返され、
続けざま、
それじゃな、なんなら朝まで浸かっててふやけちまえ、とよくわからない置き科白を残して出て行くピオニー。
ややして響く扉の閉まる音。
一人ジェイドは取り残され、




「・・・・・・・・困ったものですねえ」




何に。 何が。 何で。  何を、どう。




「・・・・・・・・・・・・・全く、」




ひとりきりで居るには広い広い、贅沢な皇帝陛下の湯殿に一人、浸かり。




考えていたのはせいぜい一分か、それに満たない程度。




「仕方がありませんね」




ここに居ない彼にではなく、自分に向け言い聞かせるかの如くひとりごちた後、
迷わず、後を追った。
























「なんだよ、もう出てきたのか」
「はい」
濡れた髪のまま、言っていた通り寝台に転がっていたピオニー。
あちこちにブウサギを放しながら転がしながらの私室にてのその表情は至って普通で普段と変わらず、
おそらく自分以外の人物では露ほども気付かないだろう。
「もっとのんびりしたらどうだ? 人間、ただぼんやりする時間と場所も必要だぞ」
「承知しています。 ですが」
周囲には自分と同じ名前のブウサギを始め、数頭が思い思いの場所で寛いでいる。 けれど構わない。
「陛下」




―――――――― 深く強引に口付ける。 それでいて甘やかなキス。




「・・・・・・おい」
口唇を離すと同時、強い目で真っ直ぐ見上げられた。
咎める口調ではない。
ただ純粋にキスの意味を問う響きと、探る視線。
「貴方が居ないというのに一人で入っていても仕方ありませんから」
さも当然。 そんなことわかりきっているはずだ。
「・・・・・・・・・・・・・」
「どうかしましたか?」
黙り込んだ隙を見て、 口許。 目許。 鼻先。 目蓋。 額。 頬。
時間をかけてしつこいくらい丁寧に口唇を落としていく。
途中、ちらりと視界の端をピンク色の丸い物体がフゴフゴ動いてこちらを眺めているのが掠めたが、それはすぐに欠伸をして背を向け丸くなった。
ゲルダ、サフィール、ネフリー、アスランもしくはジェイド、どの名前のブウサギだろう。 そうだこんな場面は見ない方がいい。
「貴方以外に、私が固執すべき方は見当たらないんですよ」
キスの途中、噛んで含めるように告げる。
「・・・・・・馬鹿だろうお前」
「光栄です」
「本物の馬鹿だな」
「結構。 ですが私と陛下はとてもよく似ていると思いますよ」
「それだけわかってりゃ、」
「・・・・・・ええ」
伝えながら言葉の種類を探す。 が、見つからない。
見つからなかったから、
「ジェイド」
「黙っていて下さい」
見つからない言葉など、言語など全部失くなればいいと痛切に思いつつ、
乱暴に再び口唇を塞ぐ。
手は腕を伸ばせば届く。
身体も重ねれば悦べる。 体温は分け合える。
なのに言葉だけが少し遠くて、其処に僅かだが齟齬まで生まれて、
だから。
激しい口付けとはどこまでも真逆に、夜着の隙間に手を挿し入れ丁寧に丁寧に解き落とす。
抵抗もせず受け入れる彼はやはり良くも悪くも賢い大人で、
結局こうすることでしか齟齬を埋められない自分もやはり、気付けば狡い大人になっている。




「・・・・もう一度、風呂に入り直すハメになりそうだな」




「そうして下さると、助かります」












水気の残る首筋、
明るい蜂蜜色の髪が落ちる耳のすぐ下にきつく吸い付き、
普段は決して残さない跡を刻んだ。
















はっきりしなくてスミマセン。
まだまだ青い三十代にしたかったんだけど、何か違う・・・・