Mucous membrane




いつもの日常、いつもの探偵事務所。




いつものよう、例外なし、問答無用に呼び付けられた弥子が、
事務所のドアにその手をかけようとした途端。




「死ねやコラァァァァ・・・・!!!!」




ドアの向こう、事務所内から聞こえた怒声、否、絶叫。
と、間髪置かず、




「死にくされチクショーーーー!!!!」




凶器にもなりかねない荒々しさでドアが内側から開き、呆気に取られる弥子に目もくれず、
叫んで弾丸の如く飛び出して行ったのは吾代である。
「え、?」
ほんの一瞬だったのでよく見えなかったが、ほんのちょっと涙目だったような気がするのは弥子の気のせいか。
確かめようにも走り去った吾代の姿などとっくに見えず、驚きながらも仕方なし、
開きっぱなしのドアから事務所内に入りつつ。




「何、どしたの・・・・?」




120パーセント元凶であろう、やたら偉そうに尊大に立つ長身の男に、一応尋ねてみれば。




「大した事ではない。 少し実験してみただけだ」




彼は弥子をチラリと横目で眺め、それからこれまたいつものよう、横柄に傲岸に。
これも結局毎度の如く、返事にはなっているけれど返答には何一つなっていない。
しかし悲しいかな、弥子としたらそんなことにはすでに慣れてしまっている。
「・・・・どうせロクなことじゃないんだろうけど」
すっかり諦めモード、小さく呟いて、それから些か強引に話を変えた。




「で、今日も何の用で呼びつけたの? テスト中なんだよ、私」




その通り、弥子は今テスト期間真っ只中なのである。
そして、これもまあ・・・・通常通り、戦局も相応に崖っぷち、今回も赤点ギリギリといったところ。
テスト期間中、無駄にできる時間はあまり無い。
なのに彼、ネウロはあっさり。




「まあ、落第したら落第したで構わないではないか。 貴様がどうなろうと何一つ我が輩には関係ない」




「構うよッ! ・・・っていうか、ほんとシャレにならないんだよ今回・・・」




あと数学と、物理と英語が残っている。 全てが強敵、一つも気を抜ける科目がない。
だから早く帰ってせめて少しくらいは勉強しないと、と悲愴な覚悟で言うと。




「フム。 虫ケラは虫ケラなりに大変なのだな」




珍しくも真正面から頷かれ、珍しくも弥子は、少し拍子抜けした。
もっと貶められるかと思っていたのに、そう素直に肯定されてしまうと、逆に何だかヘンな感じがする。
だから、という訳ではないのだが、ついついこちらの口数が多くなってしまうのも悲しいあたりだ。




「う、うん・・・・。 私はまだテストのときだけだからマシだけど、クラスにはもっと大変な子も沢山いるし。
すっごい小さい頃からたくさん勉強して、塾とか毎日行っててさ」




見てると本当に大変そうだよ、私が頑張ったのって受験のときだけだもん、
それも学食のためだけに頑張ったんだもんね、と無駄に胸を張ってみせると、
ネウロはそんな弥子の身の上話(?) など、まるで耳に入れていなかったようだ。




「そんなに勉強して良い点を取って、それからどうするのだ?」




おもむろに訊ねてきた。




「え、」




そんなふうに訊かれたって、良い成績を取れない弥子(・・・・) には、少々困る。
だから差し障りのない、ごくごく常識的な答えしか返せない。




「・・・・。 だから、小さい時からいい点取って、いい学校に行って、それからいい会社に入って勤めて、
将来幸せになりたいんじゃない?」




だから子供の頃から頑張るんじゃないの、 ・・・・そう締めくくったのだが。




「そうなのか? 人間のシアワセというものは、そんなに先にまで行かないと手に入らないものなのか」




頷き返しながらも、ネウロはどこか何か全体的に見下したような、不遜な表情を崩すこともせず、
観察するように弥子の顔を見る。
しばらくの間しみじみと面白そうに眺められ、思わずドキリとした理由は自分でもわからなかった。




「えっと・・・・、私の場合は何か食べられれば、それでいつでもシアワセいっぱいなんだけど・・・・?」




何故に慌ててしまうのか、それも同じくわからないまま慌てた弥子が口走った本心イコール食い気。
しかし彼は、ネウロはやはり聞いていない。 突然話題を変えられた。




「フン。 そう言えば少し前もTVで金だの銀だの、入賞にも到らずだの何だのと、大分騒がしくやっていたな」




「ああ、オリンピックのこと?」




確かに、少し前までTVも新聞もその話題で持ちきりだった。
とはいえ弥子の周囲では周辺ではそれほど話題にものぼらず、
裏を返せばTVと新聞ぐらいしかその話題を持ち上げてはいなかったのだけれど。




「あれも眺めていて不思議だったのだ。 何故そう優劣に固執する?
それも笑えるほどオーバーリアクションに声を枯らし叫んで喚いているのは選手本人ではなく、周囲の者だ。
もしくはマスコミと国、だな。 民衆心理というやつか? それとも国民意識というやつか」




「・・・・一応、両方なんじゃないかな、って思う」




「理解し難いな。 我が輩に言わせれば、別段、正式競技でなくとも・・・・そうだな、
貴様の唯一得意とする、早食いだろうが大食いだろうがドカ食いだろうが、
望んで平らげる本人にのみ、挑む事柄の価値がある。
端で見ているだけの傍観者である他人にとっては何の価値もないだろうが。 自分の口には入らんのだからな。
当人でもなく、腹も膨れず、なのに大多数は一体何に満足して、熱狂しているのだか」




「・・・・や、そういう次元の話じゃないんじゃ・・・・」




いくらなんでも飛躍しすぎでしょ、
もっと単純で、ただ単に自分の国の選手を応援したいだけなんだと思うんだけど、とフォローしようとしたところで、




(あれ? でもそれが国民意識ってやつ?)




途中で弥子にもよくわからなくなってしまった。
が、やっぱり弥子の言葉などネウロは聞いていない。




「まあ、人間が人間同士の範疇で勝手に決めて勝手につけたせせこましい優劣の順など、
そんな程度のものだろうが」




殊更話題にするまでのことでもなかったか、とそれこそ勝手に自己完結、




「毒にもクスリにもならん戯言はここまでにして、ちょっと来るのだヤコ」




来い来い、と長い腕で手招きをしてきた。




「?」




行かないと、五秒後には多分・・・・というより十中八九、いやいや180%無理矢理脅迫され、
結局は否応なしに言うことを聞かされる、という結果になる顛末は、嫌というほど経験済みだ。




「なに?」




だから、素直に一歩、二歩。 招く手の方に前進、歩み寄る。




優に頭ふたつ分近くある身長差。 ついついいつものクセ、ひょっこり仰ぎ見るよう仰向いたところ、おもむろに。


















――――――― ちう。


















決して短くはない時間、 ・・・・口を、口で吸われて。


















「な・・・・ッ!!? なっ、なっ、な・・・・!!!!」




言葉にならない。
動揺と驚愕と混乱とをあらわす声にはかろうじてなったが、まるで意味を為さなく、
悲鳴にも届かない声という音だけが、やっと解放された口をついて出るだけ。




「・・・・・・・・、」




そんな弥子には構わず、ネウロは一人何事かを反芻しているようだ。




「〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!」




いきなり何すんのよッ!!? と、やっと言葉になったヤコが、喚き出す前に。




「ああ、確かにな」




一人、あっさりスッキリ、ひとりごちる魔人。




取り残された弥子としたら、たまったものじゃない。




「〜〜〜なにがッ!!?」




慌てて喰ってかかる。 本当に、本当に行動の意図がわからない。 イミも、わからない。




「説明してほしいか? この単細胞生物め。 貴様は細胞分裂に励め」




「してくれなきゃ困るよッ・・・・!!」




憤懣たるを得ず、と現わすよりも、混乱の極みで憤慨し、
懸命、必死に説明を求める弥子にネウロは 「ケケケ」 と笑いながら。




「なに、つい先日、『粘膜と粘膜は吸い付き合う』 と小耳に挟んだものでな。 本当かどうか試してみたのだ」




「ね、粘・・・・膜?」








――――――― ちう、が?








ますますワケがわからなくなる。




「それには口と口が一番手っ取り早いと思ったのだ。 口腔は粘膜だろうが」




「・・・・あ、な・・るほど」




納得しかけ、途中で慌てて 「いやいやいや!! そういう問題じゃ!!」
とぶんぶん頭を振る弥子に対し彼は彼で、
「別に貴様を裏表にして内臓の粘膜で確かめても構わなかったのだが面倒でな、」
などとさらりと軽く恐ろしいことを呟き、
それから更に更にさらさらさらりとますます恐ろしい怖ろしい、ヒトコト。












「貴様の前に先程、吾代でも試してみたのだが、男も女も大して変わらんな」












「ごッ・・・・!!」




吃驚した。
正直、先程口を口で捕らえられたときより余程驚いた。




先刻、弥子と入れ違いで絶叫して飛び出して行った吾代の姿と絶叫とを思い出す。
涙目だったと思ったのは、たぶんたぶん弥子の気のせいなんかだったのじゃなくて。
ネウロの、単なる好奇心からきたこの邪悪極まりない行動に勿論、もちろん弥子のショックも大きいのだけれど、
ダメージがとてつもなく大きいのは甚大なのは、間違いなく、まごこうことなしに吾代の方だ。
なんてったって男、なのだし。




「うわ・・・・あ・・・・」




したくもないけれど、想像してしまう。
あと10秒、いや、5秒、ドアを開けて入るのが早かったら。
衝撃の惨劇の現場の目撃をしてしまうことになるところだった。 間髪、助かった。




「・・・・見なくて、よかったあ・・・・」




弥子の本音、心からの呟き。
だがそんなものなど、端からネウロは聞いていない。
気がつけばいつの間にか椅子に座り机のパソコンに向かっていて、
すでに一連の話題からも、弥子からも興味は失せているようだ。








「吾代さん、まさかとは思うけど、あまりにショックすぎて早乙女社長の後、追っちゃったり・・・・しないよね・・・・?」








なんだかどんどん本気で心配になってきた。




「ちょっと私、心配だから捜しに行ってくる・・・・!」




そう言って、急いで事務所から駆け出して行った弥子には、逆にネウロの。
















――――― まあ、どちらかといえば、貴様の方が心持ち・・・・、やわらかだったぞ」
















珍しいほど素直な、肯定にも似た満足気な一言は、 ・・・・残念ながら聞こえていなかった。
















これでも(自分が) ハズカシイほどラブラブにしたつもりなんですが・・・・!
まだネウヤコしか書いてませんが、吾ヤコも笹ヤコも追々やってみたいです。
ヤコたんはみんなに愛されてればいい。 彼女は物凄い年上キラーだと思うのですが如何なものか。
ネウロでほもは(たぶん) 書けなさそうな自分に、自分でもビックリした今日この頃。
というかネウヤコは出すたび物凄くハズカシイ照れくさいのです・・・・あがが。