[ ヨシアシ ]





「ああもうホンッッット! 憎ったらしい!!」




一日一度、毎日毎日ほぼ十割の確率で事務所内に谺する弥子の怒声。
あー憎ったらしい、アンタってばほんっと憎々しいッ、と繰り返す。
それをどこまでも退屈極まりない表情ながら、
薄ら笑いで打ち返す化け物の声はあくまで対照的だ。


「ほう、貴様のそれは我が輩に対する憎悪というやつか」


面白気に愉快気に落ち着き払っているくせに、


「教えてやろう、憎悪とは羨望の裏返しなのだ」


淡々としつつもやたらと飛躍した表現を用いるのは、
最早この男の癖のようなものであるとわかっていながらも。
高い高い位置から見下され、鼻先で嗤われるラフィンノーズ。
(いくら多少の免疫が付いてはいるといっても) 腹が立つものは腹が立つ。


「そういうところが毎度毎度腹立つんだってばッ!」


感情に任せて、というよりは単なる勢いに乗せられたまま、
半ば自棄気味に喚いた弥子に対し、彼は引き続きどこまでもどこまでも傲岸不遜に。


「ほほう、ではそういうところ以外は違う、ということか」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


(ここまで前向きになれれば、きっと人生楽しいよね・・・・)


ある意味、少し羨ましい。
時々、
本当に時々だがそう思う。
しかしこの場合の 『前向き』 は、自己中心的・尊大・傲慢と違わず同意義語なのだが。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


「ん? 何か言いたげなカオをしているな」


「・・・・別にそういうわけじゃ、ないけど」


「言いたいなら言ってみろ。 言ったところで我が輩が答えてやる義理も無いがな」


「アンタは・・・・」


間髪入れず弥子の口から溜め息が漏れる。
急かし、促したかと思えば最後に余計な一言がつく。 まるで幼子のようだ。
長い溜め息をつきながら、幼子相手の対処法十八番。 正面からお相手。
素直に、返事をした。


「あらためて、アンタが来てから私の周りっていうか、私も含めていろいろ変わったなあ、って」


良くも悪くも。


―――――― 善くも、悪くも。


吐露したのは素直な心情。
なのにネウロはさっぱり意に介さず、フンと小さく笑う。


「何がだ? 何処がだ? 別に我が輩が居たところで天と地が引っくり返る訳でも、空が落ちた訳でも、何より貴様のその貧弱な胸元が増えた訳でもなかろうが」


「そういうことじゃなくてッ!」


やっぱり物事を飛躍して捉えた物言いプラス、
最後に付け足された事象は前の二つと比べて悲しいほど矮小で些細な事柄ながら、
腹の立つ度合いは倍もあり。
まったくやっぱアンタはッ、と弥子が憤慨しかけたところ、


「阿呆が。 それだけのことだ」


(いつものことなのだが) 妙に自信満々に機先を制された。


「は?」


「それだけのことだと言っている。 変わったとすれば貴様の狭い狭い、蟻の足の裏ほどの面積しかなかった見識が、ほんの僅か・・・テントウムシの足の裏程度に広がったというだけのことだ。 他はそうそう変わらん。 たとえこの世の中に我が輩が介入しようが関わろうが、世界は何も変わることはない」


「それを言ったら、そうなのかもしれないけど・・・」


ネウロの尺度ではそうなのかも、その通りなのかもしれないけれど。
でもやっぱり変わったと思う。
彼も、自分も。
と告げてやりたかったけれど、下手に突付いたらきっとヤブヘビになりそうだから止めておく。


だから話題を変えた。
それもちょっと少し、強引に。


「・・・・・・HALの事件、あったじゃない」


「それがどうした」


すでに過ぎ去ったものに、
通り過ぎた事件に彼が何の興味も感慨も残してなどいないことは承知の上だ。
それでも。


「あの時のパスワード、」


「だからそれが何だ?」


それでもずっと訊いてみたかったのだ。
彼の最初の言葉通り、答えてもらう義理も義務も無いことも百も承知で、
でも教えて欲しかった。


「もし、もしもね、私が間違ったり、ずっとずっと最後まで解らずにいたとしたら、アンタはどうしたのかなって」


「・・・・・・・・フン」


「今から思うと、アンタのことだから私が役に立たなくても、きっと保険みたいなものも、きちんとかけてあったんだろうけど」


本当はそう言いたかった弥子の言葉、「きっと保険」 の 「ほけ」 のあたりまで来たところ、


「終わりだ」


最後まで言い終わらないうち、簡潔なたった一言で遮られてしまった。


「・・・・は?」


「だから、終わりだと言っている」


「え? お、終わりって・・・・」


この話題について終わり? ネウロにとってやっぱりもうどうでもいいことだった?
などと危うくそんな解釈をしそうになったのだが、
チラリとこちらを視てきた微妙な視線を読み取るに、実はそうではないらしい。
だから余計、弥子が意味がわからずにいると。


「頭と顔とカラダだけでは飽き足らず、耳まで悪いのか貴様は。 何度でも言ってやろう、
あれは貴様がしくじったらそこで終わっていた、と言っている」


「ほ、ほんとに・・・・? アンタが・・・・???」


「我が輩も、そして同じ場所に居た貴様もだ。 我が輩はともかく、貴様など分子レベルでも残らなかっただろうな」


「嘘・・・・」


さらりと告げられた内容。
当時だって危険な橋だとは重々、わかっていたつもりだったけれど、
どうしてそんな綱渡りみたいなこと、
どうしてそこまで危険すぎる橋を渡ったのか、
(結果オーライだったからまだ良いものの、万が一、いや正直なところ万が五千・・・・二分の一程度の確率だったような、そんなような)
・・・・・・それにしても自分が出した答えにそこまで自信が持てないのも、つらい。


「私、アンタのことだからてっきり・・・」


二重、三重の手を打ってある考えてあるとばかり思っていた。 なのに。


「失敗してたら、私と心中するつもりだったって訳・・・・?」


唖然とする弥子。
そのすぐ向こう、僅か上からネウロは再び、小さく鼻を鳴らして。


「何を馬鹿な。 やはり貴様の見識と度量と了見はアリの足以下の狭さだな。 ミドリムシの鞭毛程度だ」


「、」


やっぱ違うよね、違ったよね、そうだよね、
アリからミドリムシに格下げ(?) になっちゃったけどやっぱりそうだよね、と何故だか安心しかけた途端。


「行き着く先が成功だろうが失敗だろうが、我が輩にとって大した変わりは無い」


「―――――― え?」


「貴様と共にあの時点で終わるか、それとも今という現在を得るかというだけの差だろうが。 どちらにしろ、我が輩自ら選んだ到達点であるからな」


「・・・・それ、って」




ハッピーエンドでも、
バッドエンドでも彼にとっては同じこと。




もしあそこで揃って消えたとしても、
今こうしてここにいるのと一緒、という解釈で良いとするなら。




「ただそれだけのことだ」




戸惑う弥子に、同じ科白をネウロは繰り返す。


「だ・・・・だったら、だったら最初からそうやって言ってくれれば、私だってあんなに切羽詰まらずにすんだのに・・・・! 笛吹さんに取ってもらった出前も、もっとちゃんとじっくり味わって食べれたのにーーーー!!」


どれだけ大変だったか。
どれだけプレッシャーだったか。
どれだけ、「警察のカツ丼」 をもっともっとよーくよーく味わって食べたかったか。


「・・・・そういう問題か?」


下手をしたら貴様もオダブツだったのだぞ、と今更ながら真っ当なフリをして言われても。


「そういう問題なのッ!!」


だって一緒。
弥子にとっても、たぶんどちらでも。


すると彼は弥子の心の裏を読んだかの如く、


「わざわざ口に出して言ってやるほど、我が輩、良心的ではないのでな」


含み笑い。 鳥の眼が細められる。


「・・・・言ってるじゃない・・・・今、思いっきり」


呆れて呟くと、


「ああそうかもしれんな」


否定もしないで軽く受け流され、
長い腕に腰を絡め取られて持ち運ばれひょいっと移動、探偵机の上に乗せられた。
制服越し、胸元に摺り寄せられる端整なカオ。


「思考もカラダも、何もかもまだまだ青臭いな、ヤコ」


「・・・・・・・・・・」


「せいぜい、磨かれるがいい」


「・・・・ん」


仕方ない。
威張るだけ威張って、
甘えたくなったら気分のままに甘えてきて、


ホントにホント、子供みたい。
知恵と知識に裏打ちされた自信と実力を持つ、まるで性質が悪すぎて手に負えない悪戯っ子のようだ。








「―――――― でもね、」








さっきの言葉はまるで告白みたいだったから、
少しは甘やかしてあげてもいいかも、って思った。












悦くも悪くも、こうして引っ付いている。







イチャすぎました。 脱兎