[ めんつゆ ]






この子供は、歳のわりに一見、分別がついているようでありながらも実際時折、
傍若無人な行動に出ることも決して少なくないと足立が気がついたのはごく最近のことだ。




「相変わらず、冷蔵庫の中身が壊滅状態ですね」




「あのさ。 ヒトの部屋にきて、玄関あがって一番に冷蔵庫覗くのってどうなのさ?」




僕のところに来てこんな行動してるって堂島さんにバレたら、絶対に怒られるよ悠くん、
とそれとなく怖い怖い保護者の名前を出してみても、
「大丈夫です。 そんなことココでしかしないし」
と、彼は全くもって動じない。
それどころか、冷蔵庫のドアをパタンと閉じながら、
「食生活が滅茶苦茶だから、体力もつかなくて2ラウンドしか持たなくなるんですよ」
とんでもない(?) こじ付け論を口にしてきた。
たまらず足立は心の底からタメイキをつく。
「・・・・・・・・寝ても覚めてもそっちのことしか頭にない年頃のキミと一緒にしないでほしいな」
「はい。 否定はしません。 だって俺、実際足立さんしか見えてないし」
「・・・・・・・・・・・・今、本気でキミにドン引いてるからね。 本当に」
鳴上の返答に、タメイキを吐くことにすら匙を投げた足立に、
「俺だったら、引くヒマがあったら逆に押します」
学生服の彼は重ねて台詞を投げてくる。
「は? 何言ってるのさ」
「押してダメだったとしたら、引かずにぶち壊す勢いで」




ああ、通じない。




ふざけて口にしている訳でもない、鳴上のそんな台詞に再度、二本目の匙を投げる。
「僕、時々キミから逃げたくなるんだけど」
8割方の本心を、残り2割の苦笑のニュアンスで彩って、
鳴上が何かを言いかけるより、早く。
「だけどキミの場合、この世の果てまで追いかけてきそうだよねえ」
淡白なフリして、実際かなり執着あって粘着質だし、
と最近とみに判りはじめた本質を指摘してやると、
直接それには触れず、年下の子供は首を横に振った。
「世界に果てなんか無いです。 地球は丸いし」
幼い子供の正しい理論。 それを、
「あるよ」
やんわり笑いながら、即否定。 これまたニュアンスで全否定。
「・・・・・ええと、」
たまらず訝しげな表情になった鳴上に、足立はあくまでどこまでも軽く、世間話のように。
「たとえば、どっちかに何かが起きて、もう二度と会えなくなったりすることだってあるかもしれないし」
「、」
それを聞いてまた何かを言いかけた鳴上に、
「事故とか事件とか。 確率は低いかもしれないけど、だからって可能性はゼロじゃないだろ?」
としっかり先手を打っておいてから。
「もう絶対会えない。 こういうのは果て、って言わないの?」
「・・・・・・・・あんまり言わないんじゃ」
大仰すぎる喩えで括りだと自分でもわかっていたため、最後の最後でしっかり否定されても、
「ま、人それぞれなのかな」
笑って流せる程度に、気分は悪くもならなかった。
しかしあざとく、
「世界は広いって言っても、結局のところ自分が見えてる世界が全てだからねえ?」
少しばかり意地悪くそう結んで今度は自ら冷蔵庫を開け、扉に一本だけ残っていたビールの缶を取り出すと、足立さん、と改めて名前を呼ばれた。
何さ、と目線だけで聞き返しながら、缶ビールのプルを引き起こす。 と。
「どうして今日に限って、そんなに卑屈なんですか」
「さあ? 雨が降ってるからじゃない?」
戸惑いながらも、それでいて真正面からの問いかけに、
あながち全てが間違いでもない詭弁ではぐらかして、
「僕とキミって、ちょうど十歳違いだろ? 耳タコな言葉だけど、十年一昔、ってね。 僕達の距離って、おそらく一番わかり合えないところだよ?」
多分酷い科白。
ごく微量の本音を投げてやる。
それでいて、


無駄に関わって、
不躾にスキになって、
無闇に傷付くのはキミの方なんじゃないかな、


とそこのところだけは胸の中だけで呟いて、
開き直るのかそれとも感傷の素振りでも見せるのか、足立的にはどちらでも構わないのだけれどもまあとりあえず、鳴上が表情を変える前に。
「でもさ、まあ、笑えるからまだ大丈夫なのかな。 僕としても」
へらりと笑いかけてやりながら、
もしくはまだ笑えてる証拠が、とっくにアウトだったりして、なんて逆意味で心の中で舌を出し、
手にしていたビールに口をつける。
そうして、「キミも飲む?」 とわざとらしく訊ねてやって、
「・・・・・・いりません」 の鳴上の返答もわかった上で、
「だよねえ。 未成年だしね」
全てわかりきった前提での、芝居めいたやり取りの後。
ふっと真顔で鳴上が何を言うかと思えば。
「話は変わりますけど、せめて 【めんつゆ】 くらい常備しておいて下さい」
「は? 何、いきなり」
「冷蔵庫。 調味料がソースしかないです」
まあ確かにそれはそれで事実、なのだが。
「だけど、なんで 【めんつゆ】 なワケ? 普通、ケチャップとかマヨネーズとかって言わない?」
「それはそうですけど、俺の得意分野がめんつゆなんで」
「・・・・?」
「めんつゆがあれば、大抵の料理の味付けは出来ます」
ケチャップ・マヨネーズを越える隠れた万能調味料です、とやたら自信ありげに断言する鳴上に、
「キミ・・・・そういうとこやたら年寄り臭いから」
失笑混じりで苦笑。 すると、
「足立さんが大人げないだけです」
鳴上は聞き捨てならない反抗の意。
けれど口調は柔らかい。 従って咎める気にはならずに済んだから、大人げない大人は最後まで大人げなく。
「違うね。 僕は子供の頃の心を失ってないだけだよ」
「それは違います。 子供は大人になろうとするものです」
「ぷっ。 何その子供騙しの言葉。 ・・・・って、ああ。 実際に子供だから別にいいんだ、キミの場合」


どれもこれも、
あれもそれも、
全てが戯れ。 全部マガイモノでツクリモノ、ニセモノでエソラモノ。
でもこれでいい。 最初からはじめからそんな間柄で始まった関係で、足立としては何一つさらさら変える気はない。 今更変えようもない。 どちらに転んだとしても。


「雨、ずっと強く降ったままですね」
予報じゃ明日には止むって言ってたけど、との鳴上の呟きはスルーして、
「なんか、ちょっと冷えてきたよね」
10月も終わりなんだから当然かも、それともビール飲んだせいかな、とまるで定型文を諳んじるかの如く足立が言うと、鳴上は首だけを傾けた。
「台所使っていいなら熱いコーヒーでも淹れますけど」
「わかってると思うけど、インスタントしかないよ」
あとマグカップも一つしかないから。 あしからず。 と一応添えておいたにも関わらず、
「じゃあ、ヤカン借ります」
「んー、それもいいんだけどさ、でも違う違う」
気が、変わった。
長い腕をコンロ上に伸ばそうとした鳴上の前で軽く軽く、ひらひら手を横に振り、
「こうやって引っ付いてれば、充分あったかいし」
おそらく自分より高い体温であることは間違いない制服越しの身体に、すいっと身を寄せてやる。
すると鳴上は一瞬息を詰め、
「・・・・・・・・飴と鞭、さりげなく上手ですよね足立さん」
どことなく悔しげ、
そんな反面、妙に嬉しげな響きも含んで。
だから。




『それも違う、どっちかって言ったら 「雨」 と 「無知」 』




この言葉はあえて言ってやらずに。




おそらく止まない雨は無いし、きっと明けない夜も無いけれど、
雨がやんで晴れるまで、夜が明けて陽が昇るまで、キミが無事でいるっていう保証はないし。




無論それもこれも、全ては彼だけでなく自分にも当て嵌まる。
そんなことをぼんやり考えながら、意味もなくまた、冷蔵庫の扉を開けた。
すると奥の奥、ジュネスの安売りでついつい買ってしまったはいいけれど、なかなか使い切らなくてそのまま放置してあったマーマレードジャムの大瓶(お一人様三個まで・特売価格498円) の向こうに隠れてぽつんと。
「あ、めんつゆあったよ。 こんな奥の方に」
全国シェア率一位であろう、誰もが知る某モモヤのめんつゆ、黒いビンが一本。 
「でも材料が何もないから今日はムリだねえ」
我ながら感心するほど、冷蔵庫の中は空っぽだ。
「じゃあ、次の時に期待して下さい」
「めんつゆ使う料理って、どんなに考えても僕、うどんと蕎麦くらいしか浮かんでこないんだけど」
「煮物にも使えるし、パスタにも使うし肉料理も以外と大丈夫です」
「なんていうか、・・・・普通に凄いね悠くん。 じゃあ、ちょっとだけ期待させてもらおうかな」
「はい」




黒いビンの中に残るつゆの量はあと大体三分の一、あるかないかのその程度。
これを使い切るまでに僕の場所、
そしてキミの世界はきちんと形を保っていてくれるのかなあ、と足立は思った。




思いながらも。




とりあえず今日は仕方がないから、夕食はまた出かけてどこか外で済ませばいい。




「じゃ、帰ってきたばっかりだけど何か食べに行こうか。 奢ってあげるからさ」
「え?」
「ほらほら、遠慮しない遠慮しない。 給料出たばっかだし、何でもいいよ? キミの好きなもので」




彼と。




この世に果てが来る前に。














すみませんほんとすみません。 タイトルがどうしても考えつかなかったんです・・・・
そしてこれでも主足です! このアダッチーは受アダッチーです! ・・・たぶん(えっ・・・)