まるでそれは禅問答のような





この時分にしては至極貴重な、程好く晴れた水無月、孟夏の午後。




外から差し込む光の日溜りにて丸まるゴウト、
ゆらゆらと左右に揺れるその漆黒のビロードのような長い尻尾を睡魔と闘いつつぼんやりと眺めていたら。


トン、と脇から大層良い香りの立ち昇る、深い深い琥珀色をした珈琲が差し出された。


「お、」


「手が止まっていますが」


腰掛けた机から離れることも、声の聞こえた上方向を見るまでも確認するまでもない。
「そう言われてもなーんか行き詰まってるんだよな・・・」
ぼそぼそ呟いて手にしたまましばらく報告書の上で止まっていた万年筆、
それにのろのろキャップを回し入れ、デスク上に置かれた珈琲茶碗を引き寄せながら、
数拍置いてやっと鳴海が視線を向けた先、斜め横に悠然と佇んでいるのは珈琲を差し出した当人、ライドウである。


「早くしないと、残りの調査料がいつまでたっても貰えません」


「〜〜〜そりゃわかってるんだけどさ、苦手なんだよ、不義だの密通だのの報告は・・・」
だからライドウ代わりに書いてくれない? と言いかけ、止める。
理由は二つほど。
一つめはまず調査結果が道義的に未成年には代筆させられる内容ではないこと、
そして二つめはこの調査に頭からライドウは関わっておらず、
最初から最後までの調査顛末を一から十まで口頭で伝えるよりはこのまま自分で終わらせた方が幾許か早い。 そう考え改めたからだ。
「まあ、ゆっくりやるさ。 今週中には仕上げるよ」
それでいいだろ、とモジャモジャ頭を掻き回し軽く嘆息し、
そしてそんな了承と諒解を探偵助手の(という表向きだけの名目) ライドウ相手に取っている自分に鳴海は苦笑する。
調査方針、指針、その他諸々はともかく事務仕事に関してはいつからライドウ(もしくはゴウト)
に主導権を渡してしまっていたのだろう。


自分でも気付かず、並べて覚えのないタチの悪い事実(・・・・) に苦笑を失笑に変え、
淹れられたばかりの珈琲に口をつけた。 美味い。
ごくごくと飲み欲して 「お代わり」 と二杯目を所望するべく先刻の場所からいつの間にか自分のすぐ脇、
真横に移動していた黒衣の書生を振り仰いだところで。


「そうだ、」


先に発音、言葉を発したのはライドウだった。


「・・・ん?」


先手を取られ、半ば差し出しかけていた珈琲茶碗を宙に浮かせてしまいながらも、
鳴海が学帽の下の綺麗に整った顔を見たらば。






「そろそろ結婚しましょう、鳴海さん」






「・・・・疑問系でも問いかけの形でもないところが、ライドウらしいよ」






あまりと云えばあまりに現実味の無いライドウの物云いであるはずなのだけれど、


「その返答は、肯定と受け取って良い訳ですか」


その表情はわざわざ云うまでもなく説明するまでもない。
うっすら笑み混じりでいながらも至極真顔なあたりが問題である。
無論のこと冗談でも何でもないのだ。
どこまでも彼はごくごく真面目、ごくごくごくごく本気で重ねて訊ねてくる。
だから鳴海はいつも僅かながら焦る。 躊躇する。
そして何より一番厄介なのはあれだ、 ・・・・所謂。


「そ、そんな訳ある訳ないだろうが」


毎度毎度(になっている時点で問題だが)
そんな類いの告白めいた(?) 科白を吐かれるたび、
床の誘い(!) を投げ掛けられる(・・・・) たびに断ったり否定したりするその都度その都度、
何故だんわからないが必ずと云っていいいほど微妙な罪悪感と焦燥感が付いてまわる。
「・・・・・・・・」
否正直、
わからない気付かない気付いていないフリ、をしているだけなのだが。
加えて厄介其の二、困惑させられてしまうのはライドウの物腰。
特有の育ちに起因する、抑揚のほとんどない口調。 秀麗すぎる顔。
不意に緩い曲線を描いて薄く笑みの形を取る口許。
脈絡もなく、時折そろりと自分を凝視してくる灰眼。
彼を構成する全てが、 ・・・・だから畢竟。
(あああもう!)


大人が歯止めをかけなかったら、どうするんだ。 コドモ相手に。


どれだけ思案しても到達するところは結局のところそこで、
モジャモジャ頭を掻きながら次の台詞を模索する鳴海にライドウは、


「―――― いつも否定するということは、俺が嫌いということでしょうか」


ケロリと。
毎度恒例、内心どうだかは不明だが表向きだけは大して表情も変えずに。
「違うって、そんなこと一言も云ってないだろ」
答えながら鳴海はライドウのその科白、その一言にほっと息をつく。
ああまだ子供だ。 そんなふうに真っ直ぐ、真っ正直に訊いてくるあたりまだまだ子供だ。
「あのなライドウ、いくら仕事だろうとカラスのお姉ちゃんの命令だろうと、自分の嫌いな奴と四六時中、
いつもいつも一緒に生活して仕事して二十四時間ずっと毎日毎日暮らせるほどそこまで俺は人間出来ていないよ」
もしそうだったら住み込みじゃなくてとっくに通いにさせてる、と告げる。
そうしたらライドウの眼がそれは本当ですか、と問い掛けてきたため、
「オトナは嘘つかないぜ?」
決まった、とばかり得意気に見上げてやったら。




「それって全然大人じゃないです。 大人げないです」




眼と口許ではっきり笑われた。
ああ確かにそうかもしれない。 本当に大人だったらこんな時、きっともっと巧い嘘を吐く。






















それで当節の話は一段落したかと思っていたのに。


「じゃあせめて婚前交渉だけでも」


大丈夫です俺の準備は万全、心配不要ですと真剣に迫られた。 その自信は一体いつも何処から来るのだろう。
結局堂々巡りであるが、こんな展開もいつものことだ。
「んー、それはライドウがもう少し大人になってからな」
うまくかわす方法、否定もせずかと云って了承もしない、『今のところ保留』 という手の避難道。
嘘をつかないオトナは代わりに、こんな狡いことを吐く。
「もう少しってどれくらいですか」
「そうだな、せめて二十歳過ぎになってからとか・・・・さ」
適当な返事、曖昧なところで誤魔化す自分を、ライドウはじっと見て。
「な、なんだ?」
看破されたかと思った。
適当に返事をしたことをではなく、もっと深いところを二重の意味で。
狼狽しかけた鳴海に、若すぎるサマナーは何を云うかと思えば。


「・・・俺が二十歳過ぎになったら、鳴海さんは三十後半になる計算ですがそれでも大丈夫ですか?」


「え゛、」


「・・・・。 とりあえず大丈夫だという前提で、その時を楽しみにします」


「あ・・・・ああ、そういうことにしておいてくれ・・・」


自己完結のライドウに鳴海はゴホゴホと意味もなく咳払いをして、
「あのさあ、長いこと聞きたかったんだけどお前さんなら可愛い女の子だろうが美人のお姉さんだろうが捕まえ放題だろ?
羨ましい羨ましい入れ食い状態ってやつ? なのになんでよりによって俺なのかねえ」
改まって訊いてみた。 今更だがずっと不思議だったのだ。
これはあれ、いくら葛葉の里暮らしが長かったからといって何だって、最早常識知らず世間知らずという範疇では済まされない。
両方とも性別は男、それも自分は軽く十歳以上、干支ひと回りを更に越え、つまりはダブルスコアに近いほど年上なのだし。
そしてライドウのことだから、また面妖な返答が返ってくるかと思いきや、
またまたケロリ。
「たぶん偶然でしょう。 でも気持ちは間違いないと思いますから」
「・・・・はあ・・・」
よくわからない。 必然と云うならまだともかく(!)、偶然って何だ。
語彙が乏しいゆえのことなのか、
乏しい語彙のせいにして良いものなのか。 わからない。
あまつさえわからないも極限に到って、


「・・・俺を受け入れて欲しいわけじゃない。 ただ拒まないで欲しいだけです」


「あ・・・あのさ・・・・」


わからない、を通り越した。
「〜〜〜〜〜、」
チラリと横目で日向ぼっこ真っ只中のゴウトに救いを求めてみるけれど、
まるで別の世界の出来事といった風情で黒猫は目も開けずの様相だ。
聞こえていないはずがない。 ましてや眠っているはずなどあるわけないというのに。


「・・・・・・・・」


仕方なくゴウトから視線を戻し、「ちっとも拒んじゃいないだろ、」 と危うく出かかって云いかけて、瞬時に気付く。
たった先刻、ついさっき返事も了承も何もかも全て有耶無耶にした自分、それはもしかしたら最大の拒絶かもしれなくて、 ・・・・だからといって。


どう答えていいのかわからない。 素直すぎる子供に、どうすれば。








「ライドウ」


「はい」


「―――――― 珈琲、もう一杯くれないか」


「淹れて来ます」


苦し紛れの鳴海の言葉にライドウはくるりと踵を返し、
背中を見せ足音も無く扉の向こうに姿を消した。
ゴウトがニャンと短く鳴いた。 いつものことだが鳴海にはゴウトの言葉がわからなかった。
なんだか自分はいつもいつもわからないことだらけだ、わからないものばかりだと思った。












それから何事もなかったよう、ライドウが淹れてきた珈琲を飲んだのだけれど、
最初の一杯目に比べ、その二杯目が多少苦く感じたのは、たぶん気のせいだ。












途中までは明るい話のつもりだったのに、気がつきゃさっぱりしないものに(汗)。
アレですよ、基本的には互いにラブラブ(!) なんですよ、なのに、あ・・・・あれ???
そして一番おかしいのはタイトルだと思いました。 撃沈。 次こそとてつもなくバカでアホな下ネタ話にしますー。(次もあるんか! 笑)