[温泉に行こう・1]
「もう頃合です」
「いやいやまだ早い。 まだまだ早い」
「そんなことはないです。 最近の学生は皆、早熟なので」
「そりゃ良くない。 良くないぞライドウ。 学生の本分は勉強だろうに」
「勿論学業にも励んでいますが」
「よしよし、その意気で健全健康な書生生活を送ってくれ。 学生の時分の青春は二度と巡ってこないからな」
「・・・・俺が言いたいのはそういうことではなく」
「う、」
いつもの鳴海探偵事務所。
扉を開け入ってすぐの場所にて、
先程から繰り広げられているのは黒衣の書生、
探偵見習い・職業サマナーの彼と所長である鳴海の毎度の遣り取りである。
「―――― 鳴海さん」
「・・・・な、なんだよ」
それまで何とかのらりくらりと本題をかわし続けていた鳴海だったのだが。
名前を口にされると同時、
しなやかな動きながら、有無を言わせぬ強さでずいっと一歩前に踏み出たライドウ相手、
慌てて半歩、身を退く破目に陥った。
現状態の説明は、簡単だ。
「先日は甘美な接吻を許してくれたじゃないですか」
との科白はライドウのもの、そして鳴海はといえば、
だから今回も今日も今もまた、と先程から彼に正面きっておねだり(・・・・)されている状況だ。
そしてそれをあれやこれやと意味理由(になってない)をつけ、
ああだこうだ丸め込んで回避する方向に出ようとしているのだけれど、
如何せんさっぱり丸め込めてもいない。
「・・・・その後、ひん剥かれそうになったのは俺の記憶違いか?」
ほうほうの体で逃げ出したのはまだ記憶に新しい。
むしろこのライドウ相手、無傷(※いろんなイミで)で逃げられたこと自体、ほとんど奇跡のようなものだ。
あの時の情けない自分を思わず思い出し、小さく溜め息をつくと、
「好機は逃がしたくないですから」
当のライドウ、元凶の葛葉十四代目は鳴海の心境知らず、小さく口許を上げた。
「俺には鳴海さんしかいません」
「・・・・あのなあ・・・・・・」
あっさりと告げてくる科白に鳴海は口籠もり、再び嘆息せざるを得ない。
ここまで頑なで、しかも毎回毎回堂々とされると、正直なところ情にほだされるというより、
―――――――― いい加減、根負けしそうだ。
わかっている。
鳴海だって再三、肝にしみてわかってはいる。
嫌いではないのだ。 ただ困っているだけで。
だからといって苦手でもないし、
多少困らされているとはいうものの決して決して、嫌いなわけではない。 そんなはずもない。
それでもオトナとしてのタテマエ、
そして一般人(・・・・)としての常識、やら何やらが立ちはだかりまくっているのが現状、
ギリギリのところでまだなんとか『上司と居候の見習い探偵(しかしてその実はデビルサマナー)』
の域を保つことが出来ている。
しかしそれが崩壊するのもそう遠い日のことではないような予感もひしひし感じられる今日この頃でもあり、さてどうするか、さてどうしたらいいのか、
さてどうすれば一番好い方向に落ち着けるのかetc.
いつか来てしまうであろうXデーに日々日々頭を悩ませる32歳探偵所長である。
考えるだに深い深い溜め息も、つきたくなろうというものだ。
でもなあ、溜め息を一つつくとシアワセも一つ逃げていくって言うしなあ、と半ば前向きなのか現実逃避なのか解らない考えに鳴海が到達しかけたところ、
口許を上げたまま、何をライドウが言ったかといえば。
「と、言う訳で慰安旅行に行きましょう鳴海さん」
「・・・・・・・・は?」
あまりに突然の提案に、最初耳を疑った。
「なんだって?」
「ですから、日々の疲れを癒すために慰安旅行に行きましょう。
旅費のことなら心配無用です、実は一昨日、葛葉から給金賞与が出ました」
俺1人じゃとても使いきれないので、と羨ましいことを容易く彼は言う。
「そうは言ってもなあ・・・・。 第一、帝都の護りがお前の役目だろ?」
そう簡単に此処から離れたら役目が果たせないじゃないか、と告げれば、
「何とかなります」
あっさり。 一分の躊躇もない。
「何とか、ってそんなアバウトな・・・」
呆気に取られる鳴海の眼前、ライドウはもう一度ケロリ。
「どうにかなります」
「どうにか、って、そんな保証ないだろ」
もしまた何か悪魔絡み陰謀絡みのでかい事件が不在の間に起こったりしたら、
それこそ大変なことになるぞ、と忠告してやると、
「ああ大丈夫です、そんな事件もきっと起きませんから」
彼はキッパリ。 言い切った。
「どうしてそう言える?」
怪訝に訊ねてみると、少しばかり皮肉、僅かばかり自虐めいた笑みをライドウはその目と唇に浮かべて。
「・・・・『デビルサマナー葛葉ライドウ』 の続編製作の話もさっぱり流れて来ませんし、今現在、ライドウ2の噂さえ耳にしません。 ということは幸か不幸か、俺の出番はしばらく無いということです」
「おい・・・・」
それは禁句だろう。
「しばらく無い、で済むなら兎も角、このまま俺の出番がなかったとしたなら、いずれカエルを踏ん付けるか持っていくかでしばらく懊悩する未来が来てしまうかもしれないというのに」
「ライドウ・・・・またさっぱり話が見えない」
まだ王冠かぶったエイと、蜜柑色のヒトデの方が解り易いネタだ。
今更真Uネタはどうかと思うが、と半分呆れかけた鳴海を尻目、
「やはり、これからの時期だと温泉あたりが妥当なところでしょうか」
ライドウは自分で脱線させた話を自ら軌道修正、
「あまり遠くに行っても仕方がないし、そこそこ近場が良いと思います」
遠くてもせいぜい関東域から出ないあたりで、と現実的に事を進めていく。
鳴海は鳴海で、
「ああ、いいねぇ温泉」
温泉、という語感に思わず頷きかけたところ。
「でしょう」
重ねて深く頷いたライドウの次の言葉にピシリ。 固まることになった。
「温泉でゆっくり、温まってほっかり、宿でまったり、夜はしっぽり、俺は鳴海さんにすっぽり」
「な・・・・」
じょ、冗談じゃない。 途中まではいい。 しかし最後の二つは何だ。
一応語感はまとまっちゃいるが、だからといってやたら韻を踏めばいいってもんじゃない。
しかも怖いのはライドウの場合まず間違いなく、『有言実行率100%』 だからであって。
「じ、実はな、この前海軍にやられてからな(※第七話)、痛めつけられた節々が痛かったりしてさ」
昨日も朝起きたら首と肩が痛かった、だから今日も首があんまり回らないんだよなと即興言い訳。
ちなみに首と肩が痛いのはまず間違いなく寝違えたからであり、
しかも。
「ですから、痛む節々を治すためにも、温泉場で湯治は良いのでは」
「・・・・あ」
言い訳にもなってなかった。
むしろ余計、温泉旅行に正当性と合理性を持たせてしまった。
思いっきり墓穴を掘った形、である。
深い深い地底伍佰米くらいの、自ら掘った墓穴に転がり落ちる心境でいたら。
「本当はあの時」
ふっとライドウが呟いた。
「鳴海さんをあんな目に遭わされて、自分の憤りに任せるままに海軍に乗り込んで押し入って、報復することも考えなかったわけじゃありませんでしたが」
「お、おい」
仮にも帝都を護らなきゃならない立場の奴が過激思想ってのは拙いだろ、とジェスチャー混じり、そのあたりで発言を止めさせる。
するとライドウは大丈夫です結局どうあっても実行には移しませんでしたから、と小さく笑った。
そして 「?」 と鳴海が当然の問いかけをする前に再び口を開く。
「もしそうしたら、きっと鳴海さんは困るでしょう」
どんな顛末であれ、鳴海さんを困らせるのは良くないし俺の本意でもありませんから、などとごく簡単に。
「・・・・・・・・・・・・」
困らせてる困らせてる、そう言われながらも充分に今、俺は困ってるんだが。
と即座に心の中でツッコミを入れつつ、
でもまあ、上司として年上として、旅行くらい連れて行ってやらないこともない。
「・・・・・ま、いい。 よし、行くとするか温泉旅行」
自然、ゴウトも同行することは間違いないし、
それなら此処に居るのと(自分の尻の)危険度は大して変わらない。
要は自分が温泉地に浮かれて気を抜かなければいいことだ。
そう思った途端、
「旅先では開放感に包まれるとよく聞きますし、遠慮なく身も心も解き放って下さい」
「う゛」
まるでココロを透視したかの如くのライドウ。
もしや読心術でも持っているかのようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・持っていた気がする。(仲魔が)
なんとなし蒼褪める鳴海昌平、三十二歳。
蒼褪めて、それから眼前の書生を一瞬眺め、最後にふうっと軽いが長い、溜め息をついた。
もう、どうにでもなれ。
・・・・否、そうじゃない。
―――――――― なるように、なれ。
【温泉に行こう・2へ】
続きます。
でも多分色気も何もない話です。